コックカワサキの魂

魂は死んでないんじゃないの〜?

創作に対する自分の気持ち悪さ

 やっぱり毎日じゃなくて、2日に一回くらいのほうが質量ともに落とさずに書けそうですね(これ以上落ちるほどの質はないだろというツッコミは心の中にしまっておいてください)それと日記だけだと量が少なくなってしまうのでこれも、「気になっている話題」+「日々の出来事」の構成で書いたほうが丁度いいボリュームになっていくと思ったんで、今後しばらくはこんなスタイルでやっていこうと思います。

 さて、今日の話題は先日の偏見部活動もいいなとは思ったんですが、久しぶりに又吉直樹『人間』を読み返しまして、やっぱり本って読み返すとまた新しい発見がありますね、現在自分は多少創作活動をやっておりまして創作活動に関する人々を描いた『人間』を読んで自分を見つめ直すと、自分の創作に対する気持ちの悪い自意識のようなものがありまして、今日はその自意識を供養するつもりで書いていきたいと思います。

 まず、自分が創作をしているということに関して私はなにか優越感のようなものを抱いています、まずここから気持ち悪いです、他の大学生を見ていて自分よりも卓越した部分を見せつけられることなどがあっても「まあ、自分は創作をしているから、劣る部分があっても彼らよりはセンスの有る」なんてことを本気で思ってしまいます、自分が劣る部分がある際に働く防衛本能のようなものでしょうか、傑作を生み出しているわけでもないのに「創作」という行為自体に価値を見出して、それを行っている自分が偉いというように履き違えています。本当に気持ち悪いし、未だに中二病を引きずっているのではないか、なんて思ってしまうこともあります、実際そうなんでしょう。才能もないのに「創作」をして、自分の才能に懊悩するのがかっこいいって思うことに憧れています、フィクションと現実の区別がついていないんです、「じゃあなんでそれがわかっているのにやめないんだ」なんてことを思われるかもしれませんが、怖いんだと思います、自分になんの才能もなく創作で食うのは不可能で、大人しく社会の中に入っていくしかないという事を思い知るのが怖いんだと思います。こんなことを思っているのもすでにありきたりなことでこういうことを書いて、垂れ流してしまっているのもセンスの無さを露呈してしまっているという悲しい矛盾です。

 ネガティブなことばかり言ってしまいましたが、実生活は全然友達と遊んだりしてました友だちと遊んでいる時は自分のセンスの無さというもののを忘れることができます。

 いつか、自分の創作物すべてがハマってくれる彼女とかできたりしないですかね、次回はもっと明るい話題を持っていきたいと思います。