コックカワサキの魂

魂は死んでないんじゃないの〜?

人はラーメンでもなんでもない

 私自身、大それた人間でないし、人に対してなにか大きく上回る物があるわけでもないのにこう思ってしまうことがある。

薄い

 何度も言うが、私はなにか大業を成した人間でもないし、誰かに何かを言えるほど大それた人間であるわけでもない

 果たして何が人に対してこのような思いを抱かせるのか

 その前にまず、どのような人間に対して私が「薄い」と感じてしまうのかについて説明したい。例えばハロウィーンになって渋谷に行って馬鹿騒ぎしている人々や成人式で暴れる者を見て「薄い」と思うことがある、大学に通っている時も、全てを知った顔で物申してくる者や面白くもない安いジョークを本気でオモシロイと思って見せびらかしている者もいた、これらの全てに対して私は一貫して「薄い」という判断を下す。

 なんとなくおわかりいただけたであろうが、ここで言うところの「薄い」というのはすべからく「人間性」という観点での「薄い」ということである。では、この人間性の「薄さ」とはそのような部分に起因するのであろうか、正直私が「薄い」と思うような人間はまず「バカ」であるように思う、ここで言うところの「バカ」とは正真正銘のバカであり、生きていく上での教養を持ち合わせていない人間のことを指す、最低限学校で習うことを頭に入れている人間であればハロウィーンに渋谷にも行かないし、成人式でも暴れることはないであろう、教養とは経験であり、自らに取り入れる「教養」は体験せずとも「経験」になりうる。その経験値のなさに私は「薄い」という烙印を押すのだ。

 次に私が「薄い」と感じる人間に共通するものとして、オタク気質ではない、というものがあると思う、どうもオタク気質ではないものは、薄く広く物事を知ろうとし、結果として「薄く」なる。ミーハーな人間などまさにその典型例であろう、その当時のはやりに乗って、物事を見ていく、しかしそれが廃れるともはや見向きもしなくなり新たな流行りに乗る、流行りの波が高い時間というのは流行りの物事に関して深く知るには難しく、流行りの物事の一部を知るに過ぎない、私はそれが非常に気に入らない、実に即物的な人間である。最近で言えば「中川家You Tube」を最近見てます、などと言っていたものは、プレゼンで面白いと思われるあんが出ないと嘆いていた、それもそのはず、中川家を面白いと思う感性は別として「お笑い」というものに対して深堀りをしていないから、そのような悩みにぶつかるのだと私は相談を聞くふりをして考えていた。

 悲しいかな、私が「薄い」と判断を下すものは往々にしてコミュニケーション能力が高く、社会の中では高い評価をくだされることが多い、しかし本当に「厚みのある」人間というのはもっと他のところに居るのだ。

 こんなことを藤本タツキ「ルックバック」を読み触発されて「Don't  Look Back In Anger」を聞きながら書いている私のほうが「薄い」人間なのだろうか。