コックカワサキの魂

魂は死んでないんじゃないの〜?

故郷思案1

 なるべく続けたい。

 

 私には明確にここと言えるような故郷が存在しない。
 
 生まれてからこの方「帰省」というものをしたことがない。田舎の祖父母というものもいない。祖父母は東京にしかいない。郷里を持たぬ私は根無し草のようなもので帰るべき場所を持っていない。
 
 豊臣秀吉の政権がなぜ、秀吉死去後すぐに崩壊したか、ご存じだろうか。徳川家康の手腕といえばそうなのだが、秀頼に確固たる支持基盤がなかったことが家康の跳梁を引き起こしたといっても過言ではない。戦国時代当時の支持基盤というのは血縁関係のある親族のことである。
 私は土地という点については豊臣秀頼と同じである。人生において壁にぶつかった際に頼るべき土地がないのである。このままでは大坂夏の陣にて滅ぼされかねない。そこで私はこれまでの人生の中に訪れた土地の中で支持基盤になれそうな土地を考えてみることにした。
 
 どの場所にしようかしばらく考えてみた。有力な候補地をいくつか挙げてみたが、どうも今の私では考察が薄くなる気がする、なのでまったく候補となってはいないものの直近で訪れた「渋谷」について考えてみるのが現状もっとも深い考察ができるのではないかと思い至った。
 
 「渋谷」、若者の街と呼ばれるこの街は私にはいささか若すぎるように感じる。私が流行に疎いとか流行に乗ろうとしていないからではない。あの街は若返り続けているのだ。私は年齢相応に生きようとする人間なので、渋谷についていけないのだ。常に若くいようとする人々のみが渋谷に適応しうる。
 そう考えてみると、やけに渋谷にいた人々の幼いことに気づく。地方から東京に憧れ、渋谷の若さに合わせている人。流行を追いかけているが故に若い人。単純に若い人。これらの人々が渋谷を構築しているのだ。精神的に幼い感じの人が多いのも致し方あるまい。ハロウィンの乱痴気騒ぎなどは街がそうさせているのである。当人たちがおかしいということではない。
 
 どうも渋谷は私の故郷にはなりえないと思う。