買わない理由を探している
最近買わない理由を探している。
買わない理由はなぜであるか。
理由は様々見つかる。
自分の稼ぎが低いせいだ。
どうにも最近金が稼げていない。
1人で過ごす分には困らないほどの額を稼げている気がする。
しかし使い道が多いのだ。
まあいわゆる社交費というものであろうか。
それに金がかかる。
ならばそれを踏まえて稼げば良いのではないか。
一理どころか二理も三理もある。
しかし時間がない。
一介の大学院生では働ける時間が限られている。
こうとなっては最低賃金を上げてくれない国に怒るべきなのか。
しかしそれも何かお門違いな気もする。
だから僕は今日も買わない理由を探している。
故郷思案1
なるべく続けたい。
私には明確にここと言えるような故郷が存在しない。
生まれてからこの方「帰省」というものをしたことがない。田舎の祖父母というものもいない。祖父母は東京にしかいない。郷里を持たぬ私は根無し草のようなもので帰るべき場所を持っていない。
豊臣秀吉の政権がなぜ、秀吉死去後すぐに崩壊したか、ご存じだろうか。徳川家康の手腕といえばそうなのだが、秀頼に確固たる支持基盤がなかったことが家康の跳梁を引き起こしたといっても過言ではない。戦国時代当時の支持基盤というのは血縁関係のある親族のことである。
私は土地という点については豊臣秀頼と同じである。人生において壁にぶつかった際に頼るべき土地がないのである。このままでは大坂夏の陣にて滅ぼされかねない。そこで私はこれまでの人生の中に訪れた土地の中で支持基盤になれそうな土地を考えてみることにした。
どの場所にしようかしばらく考えてみた。有力な候補地をいくつか挙げてみたが、どうも今の私では考察が薄くなる気がする、なのでまったく候補となってはいないものの直近で訪れた「渋谷」について考えてみるのが現状もっとも深い考察ができるのではないかと思い至った。
「渋谷」、若者の街と呼ばれるこの街は私にはいささか若すぎるように感じる。私が流行に疎いとか流行に乗ろうとしていないからではない。あの街は若返り続けているのだ。私は年齢相応に生きようとする人間なので、渋谷についていけないのだ。常に若くいようとする人々のみが渋谷に適応しうる。
そう考えてみると、やけに渋谷にいた人々の幼いことに気づく。地方から東京に憧れ、渋谷の若さに合わせている人。流行を追いかけているが故に若い人。単純に若い人。これらの人々が渋谷を構築しているのだ。精神的に幼い感じの人が多いのも致し方あるまい。ハロウィンの乱痴気騒ぎなどは街がそうさせているのである。当人たちがおかしいということではない。
どうも渋谷は私の故郷にはなりえないと思う。
八方塞がり
井の中の蛙大海を知らず
という有名な言葉がある、ざっくり言うと狭い範囲では一番だと思っていても広い範囲ではそうとは限らないという意味である。
中高の頃の私などまさにそうであった、将来のことを考えても自分には何かしら人にない特別な才能があると過信していた。普通のサラリーマンにならずとも特殊な仕事で食べていけると思っていた。なんならこの世にある仕事なら何にでもなれる可能性があるとさえ思い込んでいた。あの頃の私は無敵だった。
しかし、年を経るにつれて自分を見る必要性が出てきた。自分が責任を取らなければならない場面が増えてきた。そんな場面が増えるにつれて、中高の頃私に開かれていた多くの道は通行止めになっていった。
今となってはもう私に残された道は数本しかない、人とは違う特殊な生き方をする道はまだ少しばかり残っている。残ってはいるものの、昔はよく見ていなかったから気づかなかったが、その道は崖沿いにあった。現在の私にその危険を冒すほどの気力も勇気もなく、平坦で景色も一辺倒でつまらない皆が歩こうとしている道へ進み始めていた。
もし人生を道を歩きき続ける行為であるとすれば、今ここでこうして次に歩く道を悩んでいることはそれこそ平坦でつまらない道を歩くことではないのだろうか。一体何人の人がこの道をこうやって歩いてきただろうか。人と違う道を歩きたいのに結局はこうやって人と同じ道を歩いている。
もう少し先に分かれ道の看板が見える。おそらく私は安全な道を歩くことになるだろう、今いる道もそういう道なのだから。後ろを振り返ってもそういった道が続いている。崖に行く勇気はいまだに出ない。
恋をした
恋をしました。
それは長い人生の間のたった5ヶ月にしかすぎません。
とても儚いものでした。
久々の恋だったからこそ、月並みな表現ではありますがその5ヶ月間は5年にも10年にも感じました。
出会いは夏でした。
何事もなく人生が進んでいくことに焦った私は、以前より恋愛における憧れよりも人間的な面から憧れている方にお会いしようと思いました。
正直その方は雲の上の存在で到底会えるとは思ってもいませんでしたし、同じコミュニティにいたとは言え私のことなど覚えてすらないと思っていました。
だからこそ、私の「会ってください」という言葉に気さくに「いいよ〜」と言ってくださった時は車の中だったのですが、思わず舞い上がりそうになりました。
初めて2人で会ったのは晩夏でした。今まではコミュニティの中で数回言葉を交わす程度だったのですが、その日初めて2人きりで話しました。夏の暑い日だったにも関わらず、自分の持ち合わせている中で最もおしゃれだからという理由で秋服を着て行き、後悔したのを覚えています。
会う前は本当に吐きそうでした。会うのも数ヶ月ぶりだったし、2人で会ったことなんてなかったから話が持たないかもしれない不安もあり正直誘わなきゃよかったなんて思ってしまっていました。
ですがそんな杞憂は会ってすぐ無くなりました。合流するなり背後から両手を振って現れたあなたのあまりの「良さ」(美しくもあり可愛らしさもある、総じて「良い」)に瞳孔がガンガンに開きました。
それくらいで恋に落ちてなるものかと強情な私は未だに憧れの気持ちが人間性的なものへの憧れなのだと言い聞かせていました。
しかし、2人で喫茶店に入り昔ながらのクリームソーダを飲みながらタバコを吸うあなたの姿に父譲りの頑固さを持った私ですがあっという間に落ちてしまいました。
ちょうどその時期伊藤沙莉が好きだったのも相まって、ハスキーで伊藤沙莉的な雰囲気を醸し出しているあなたは当時の私にとってはまさに真ん中高めのどストライクでした。
バイト代で暮らしていて決して稼ぎが多い訳でもないのに、あなたは私に喫茶店代に加え、その後のご飯代まで奢ってくれました。
別れ際にあなたはまた両手を振って改札に入っていきました、私はしばらくあなたの背中を追っていました。あなたが振り返ってまた手を振ってくれるのを期待しましたが、結局最後の最後まであなたは振り返ることはありませんでした。
次に会ったのは葉っぱの色が黄色や紅色に染まっていた時期だったと記憶しています。私はあなたに会うなりびっくりして欲しくて身内にまつわるビックニュースをあなたに言いました。あなたは駅前にも関わらず大きな声でリアクションをとり、私の肩に手を当ててきました。最初で最後のボディタッチでした。
葉っぱが色づいている公園をあなたと並んで歩きました。あなたのような方と並んで歩くことが私の夢でした。あなたの名義で取ったチケットで美術館に行きました。売店で商品を買わないにも関わらずデザインを褒めちぎったり、はたまたマーケティングが出過ぎていると毒づいたりする時間は最高でした。あなたのそういう誉める部分は誉めるけど毒づく部分は毒づく性格が私は好きでした。
美術館から出るとあなたは美術館にいた蘊蓄を自慢するおじさんと彼氏に無理矢理連れてこられた彼女に目をつけていたことを話してくれました。私も全く同じ人たちに目をつけていました、共通の話題で盛り上がった時は幸せすぎて明日死ぬものだと思ってしまいました。
終わった後はまた前と同じ喫茶店に行きました。酒にまつわる失敗談を聞かせてくれました。酒にまつわる話をした後だったので「折角なら」と一緒に居酒屋に行きました。一緒に酒を飲むことを許してくれた時は少し距離が近づいた気がしました。
居酒屋ではまたまた新人バイトのおかしな点について笑い合いました。目の付け所が同じでした。笑いどころも同じでした。それが嬉しくて私が常日頃から毛嫌いしている「〜なんよ」という語尾を東京出身のあなたが使っていることも見逃せました。
居酒屋ではお酒の力もあり話は盛り上がりました。会計ではまたまた多く払ってもらってしまいました。多く出してもらっているのに軟骨の唐揚げを残してしまったことが悔やまれます。
まあまあな量飲んでもお酒に強いあなたは少し頬を紅潮させる程度でしっかりとした足取りで帰って行きました。この時も私はしばらくあなたを追いましたがあなたはこちらを振り向くことはありませんでした。
会計を多めに出してもらっていることや、別れ際に振り向かれないことから私はこの頃から「男として見られていないのでは」なんて疑念が浮かび上がってきました。
ですが、告白は3回目のデートでと周りに言われ私はあなたを3度目のデートに誘いました。本格的に寒くなってきた時期であったと記憶しています。
あなたは前の用事が立て込んで待ち合わせに1時間遅刻してしまいました。なんとなく嫌な気がしていましたが、その日は居酒屋に行って話してもあまり盛り上がりませんでした。結局このままのムードで告白しても無理だと思った私は一旦その日は諦めてまた後日思いを伝えようと思いました。
別れ際はもう定番ですがあなたは振り向きませんでした。私は自分が不甲斐なくて生まれて初めて自分でタバコを購入しました。何かに縋っていなければ壊れてしまいそうな気分でした。
年末にかけて色々な人に相談する内に勇気が出てきた私は年明けにあなたのバイト帰りに告白しようと決意しました。
予定の15分前に着き、駅前で陰謀論者の演説を聞いて待ちました。よく考えたら直接言葉で人に告白するのは人生で初めてのことでした。
いざあなたと会うと告白する勇気も出ず、少し散歩をしようなどと意味不明なことを言って歩き始めました。
駅の周りを一周しても私は勇気が出ず、結局別れてしまいました。あまりの情けなさに友人に連絡し、近くで合流することにしました。
合流するとちょうどあなたからさっき会ったのは一体なぜなのかというLINEが届きました。
ちょうどいいタイミングだったので友人に言われ、電話で告白しました。
あなたはセールスを断るかのような声で謝りました。私はなぜかそんな謝り方でも納得してしまいました。あなたという人間がセールスを断るかのように告白を断ることにすごく合点がいってしまったのです。
これが私の5ヶ月でした。未だに少し引きずっていますが、色んな人に話す内に思い返す余裕が出てきて今後の自分のためにと文章にしました。
セファット・ファリードの行方
私は180㎝ある、日本人の中では大きい部類に入る。しかし目の前に立つ人間はどうであろうか、その体躯は月並みな表現ではあるが、天を突き、肩幅は幼き頃に見た浅間連峰に比肩するほどであった。
「僕はダルビッシュ・セファット・ファリード・有!」
遥か上空より聞こえてくる声は聞き馴染みのある名前を言った。
しかし考えてみるといくらダルビッシュ有がメジャーリーガーであっても、これほどの大きさであるとは思えない。私は一生のうちに使うと思ってもいなかった、某引越し会社のコマーシャルのセリフをいつの間にか発していた。
「どうしてそんなに大きくなっちゃったんですか?」
当初の予想としては
「真面目に野球をやってきたからだよ」
なんて答えが返ってくると思っていた。しかし一見山にしか見えない、元日ハムの選手はこう言った。
「それは、イラン人の父と日本人の母を持つハーフだからかな!!」
耳を疑った、私の知っているハーフの概念は今まさに崩れたのである。コマーシャルと同じやりとりができなかったことへの驚きに加え、ハーフの新概念を持ち出された私は困惑し、思わず、
「いくらハーフでもデカすぎませんか?」
などという、捉え方によっては差別に繋がってしまうような発言をしてしまった。しかし、今私の興味は、差別などという瑣末な問題よりも今目の前にある、ダルビッシュ有と自称する大男にしかなかった。
「まあ、俺筋トレ好きだからね!」
私は今ここでゴッホのように耳を切り落そうと思ってしまった。こんなことが聞こえてくる耳ならもういらない、そう思わせるくらい彼と私の会話は乖離してしまっていた。
「よくわからないのですが!」
自傷欲求を必死に抑えながら、私は彼に尋ねた。
「パンプアップの究極系だよね!」
ここにきて初めて私はなるほど、と思ってしまった。筋トレが好きすぎて、極めすぎた結果、ここまで大きくなってしまったのだと。これまでの会話で既成概念が壊れすぎてしまっていたからこそ、この論理を受け入れることができた。この時の私は赤ん坊のように言われたことをすぐに吸収した。
「すみません!もう一つ聞いてもいいですか!」
なぜ大きくなったのかという疑問を解決した私は以前より気になっていた質問をパンプアップを極めたダルビッシュ有に尋ねた。
「何?」
ここで初めて、雲のようなものだと思っていたものが彼の顎髭であることに気づく。
「あなたの奥さんって聖子ダルビッシュさんですよね?」
「うん!」
「聖子さんにもセファット・ファリードはついているんですか?」
おそらく、大きくないダルビッシュ有に会っていてもこの質問はできなかったであろう。デカいダルビッシュ有と出会い、既成概念を壊されたからこそ、この質問ができた。成長であった。
「え?セファット・ファリードがどこに行ったかだって!?」
正直、少し違う受け取り方をされていたが、彼我の距離の大きさがその違和感を払拭してくれた。
「セファット・ファリードはね、イランに帰ったんだよね!」
彼がそう言うと同時に空から大粒の水が降ってきて、私を飲み込んだ。私は水の中にいながら鞄の中にカミソリが入っていたことを思い出すと徐にそれを取り出し、両耳を切断した。息苦しさと痛みを感じながら、眠るようにして意識を失った。
きっしょい動機2
前回はこのタイトルで書いたのですが結局ブログを続けるためのきっしょい動機みたいになったのですが本当は今回書くことがきっしょい動機です。正直ブログを書き続けることは良いことなのでどれだけ動機がきしょかろうと良いのです、続けさえすればね。
私は読む本や音楽を選ぶときの動機が気持ち悪い。
それは最近になって段々とそういった動機になってきたのだが、私は本や音楽を選ぶ際
「人にセンスがあると思われたい」
という気持ちが先行することが多くなってきた。普通で言えば自分が「良い」と思ったものだけを選べばいいのだが、そこに世間からの評価や「これを好きということで他人からどの様に評価されるか」という物差しが現れたのだ。今考えればなぜそんな風になってしまったのだろうか、それは私が聞いたこともないような曲や本を知っている人たちが強烈なセンスを持っていたからである。
とはいえ普通の人はそこで自分の「好き」の物差しを変えることはしないであろう、だが当時の私はそこまで確固たる「好き」の物差しがなかったのである。だからこそ「好き」の物差しを「自分がいいと思う」から「センスがあると思われるか」というものに変えてしまったのである。
一つの具体的事例がある、ある時私はクリープハイプをよく聞いていた時期があったその時私は当時気になっていた女の子に「クリープハイプいいよね」と言った。その時に女の子から「クリープハイプってイキってる陰キャが聞いてるイメージ」と言われると私はクリープハイプを聞くことをやめてしまった。これが自分の中での「好き」より「他人からの評価」を気にしてしまった例である。きしょい、一番イキってるのは私自身ではなかろうか。
そんな私でも他人からの評価を気にせず選ぶ本や音楽もあるので安心していただきたいというのが本音である、世の中中庸が大切なのだから。