セファット・ファリードの行方
私は180㎝ある、日本人の中では大きい部類に入る。しかし目の前に立つ人間はどうであろうか、その体躯は月並みな表現ではあるが、天を突き、肩幅は幼き頃に見た浅間連峰に比肩するほどであった。
「僕はダルビッシュ・セファット・ファリード・有!」
遥か上空より聞こえてくる声は聞き馴染みのある名前を言った。
しかし考えてみるといくらダルビッシュ有がメジャーリーガーであっても、これほどの大きさであるとは思えない。私は一生のうちに使うと思ってもいなかった、某引越し会社のコマーシャルのセリフをいつの間にか発していた。
「どうしてそんなに大きくなっちゃったんですか?」
当初の予想としては
「真面目に野球をやってきたからだよ」
なんて答えが返ってくると思っていた。しかし一見山にしか見えない、元日ハムの選手はこう言った。
「それは、イラン人の父と日本人の母を持つハーフだからかな!!」
耳を疑った、私の知っているハーフの概念は今まさに崩れたのである。コマーシャルと同じやりとりができなかったことへの驚きに加え、ハーフの新概念を持ち出された私は困惑し、思わず、
「いくらハーフでもデカすぎませんか?」
などという、捉え方によっては差別に繋がってしまうような発言をしてしまった。しかし、今私の興味は、差別などという瑣末な問題よりも今目の前にある、ダルビッシュ有と自称する大男にしかなかった。
「まあ、俺筋トレ好きだからね!」
私は今ここでゴッホのように耳を切り落そうと思ってしまった。こんなことが聞こえてくる耳ならもういらない、そう思わせるくらい彼と私の会話は乖離してしまっていた。
「よくわからないのですが!」
自傷欲求を必死に抑えながら、私は彼に尋ねた。
「パンプアップの究極系だよね!」
ここにきて初めて私はなるほど、と思ってしまった。筋トレが好きすぎて、極めすぎた結果、ここまで大きくなってしまったのだと。これまでの会話で既成概念が壊れすぎてしまっていたからこそ、この論理を受け入れることができた。この時の私は赤ん坊のように言われたことをすぐに吸収した。
「すみません!もう一つ聞いてもいいですか!」
なぜ大きくなったのかという疑問を解決した私は以前より気になっていた質問をパンプアップを極めたダルビッシュ有に尋ねた。
「何?」
ここで初めて、雲のようなものだと思っていたものが彼の顎髭であることに気づく。
「あなたの奥さんって聖子ダルビッシュさんですよね?」
「うん!」
「聖子さんにもセファット・ファリードはついているんですか?」
おそらく、大きくないダルビッシュ有に会っていてもこの質問はできなかったであろう。デカいダルビッシュ有と出会い、既成概念を壊されたからこそ、この質問ができた。成長であった。
「え?セファット・ファリードがどこに行ったかだって!?」
正直、少し違う受け取り方をされていたが、彼我の距離の大きさがその違和感を払拭してくれた。
「セファット・ファリードはね、イランに帰ったんだよね!」
彼がそう言うと同時に空から大粒の水が降ってきて、私を飲み込んだ。私は水の中にいながら鞄の中にカミソリが入っていたことを思い出すと徐にそれを取り出し、両耳を切断した。息苦しさと痛みを感じながら、眠るようにして意識を失った。