コックカワサキの魂

魂は死んでないんじゃないの〜?

きっしょい動機2

 前回はこのタイトルで書いたのですが結局ブログを続けるためのきっしょい動機みたいになったのですが本当は今回書くことがきっしょい動機です。正直ブログを書き続けることは良いことなのでどれだけ動機がきしょかろうと良いのです、続けさえすればね。

 私は読む本や音楽を選ぶときの動機が気持ち悪い。

 それは最近になって段々とそういった動機になってきたのだが、私は本や音楽を選ぶ際

「人にセンスがあると思われたい」

という気持ちが先行することが多くなってきた。普通で言えば自分が「良い」と思ったものだけを選べばいいのだが、そこに世間からの評価や「これを好きということで他人からどの様に評価されるか」という物差しが現れたのだ。今考えればなぜそんな風になってしまったのだろうか、それは私が聞いたこともないような曲や本を知っている人たちが強烈なセンスを持っていたからである。

 とはいえ普通の人はそこで自分の「好き」の物差しを変えることはしないであろう、だが当時の私はそこまで確固たる「好き」の物差しがなかったのである。だからこそ「好き」の物差しを「自分がいいと思う」から「センスがあると思われるか」というものに変えてしまったのである。

 一つの具体的事例がある、ある時私はクリープハイプをよく聞いていた時期があったその時私は当時気になっていた女の子に「クリープハイプいいよね」と言った。その時に女の子から「クリープハイプってイキってる陰キャが聞いてるイメージ」と言われると私はクリープハイプを聞くことをやめてしまった。これが自分の中での「好き」より「他人からの評価」を気にしてしまった例である。きしょい、一番イキってるのは私自身ではなかろうか。

 そんな私でも他人からの評価を気にせず選ぶ本や音楽もあるので安心していただきたいというのが本音である、世の中中庸が大切なのだから。