コックカワサキの魂

魂は死んでないんじゃないの〜?

別に君を求めてないけど

 なんとなくで書いているこのブログなんですけど、まあ、書こうと思う題材は結構浮かぶわけなんですが、いざそのことについて書こうと思うと意外とそんな長く続かなかったり、自分の語彙の無さ故かうまいこと題材に対する思いを言語化することができなかったりします、まあ簡単な言い方をすれば0から1はできるけど1から100にはできないみたいな、よくある感じの悩みですありふれすぎてますよね、これも悩みといえば悩みなんですけど、自分の悩みというか創作に昇華したくなるような出来事、これも結構ありきたりなのかな、なんて思うこともあります、人生は人それぞれなんてこと言われると思いますけど、流石に何十億、何百億も人間がいればある程度悩むことなんて似てくると思うんです、それをたとえ小説にしろ歌や詩にしたとしても、それはもうすでに自分が知っている種々の創作物があったからこそそういった悩みが出てきているのではないか、なんて考えてしまうこともあります、つまり「恋」について悩んでいても、今までに摂取した創作物から得た知見をもとに「恋」について考えてしまい、「悩み」というものが典型的になってしまうことがあるのではないかと思ってしまうわけです。

 私自身の偏見と言えば偏見だし、持論と言えば持論なんですが、ありきたりな悩みを創作物に落とし込んでも、大衆にはウケず、経験したことのない悩みや出来事のほうが大衆はより望んでいる気がします。もしありきたりな悩みで創作して受けるとすればそれは新しい見方で論じていたりするからではないでしょうか、私はそのように感じています。この考えは私が好きなお笑いから影響を受けているのでしょうか、お笑いは確かにこの感じが顕著にある気がします、芸人さん達は常に新しいスタイルを考えており、その結果が「漫才かどうか」の論争を生み出した「マヂカルラブリー」なのではないでしょうか。そしてそれは創作全般に言えることになってはいないでしょうか。

 ですが、私は最近自分の感覚に近い作家さんを読むことにハマっています、自分が何となく感じていながらも、それこそうまいこと言語化できていなかった出来事を落とし込んで言語化されている小説を読むことが最近は好きです、なので自分と似た境遇の主人公の話ばかり買ってしまう気がします、私のような感覚を持った人が居るという希望を持って、私もなにか一種の気持ちの代弁者であることを目指そうと思います

小説家でもなんでもありませんが。