コックカワサキの魂

魂は死んでないんじゃないの〜?

「コントが始まる」と又吉作品の違い〜知り合いの一言に感じた違和感〜

一応心の中に二週間ほど溜めてはいたんですが、3話を見た段階でなんとなく感じていた違和感が確信に変わったので言わせてください。

 

「コントが始まる」と又吉直樹の作品は同じ「芸人」というテーマの物語でもテイストはかなり違うと思います。

 

「見たらわかるやろ、当たり前やんけ」

 

そう思われる方はこれより下の部分は読まなくていいです、おそらく私とあなたはリアルで知り合えば仲良くなれるだろうということを自覚し、今すぐページを閉じてください。

 

ここから先は「芸人がコンセプトなんだから同じやろ」と思っている方のみご覧ください。

 

まず、この文章は決して「コントが始まる」を馬鹿にするための文章ではないということをわかってください。むしろ僕はこのドラマ好きです、ドラマなんて滅多に見ない人間なんです、なのに毎週ちゃんと見るくらいハマっているんです、ってことは好きってことです、信じてください。

 

3話までこのドラマを見て感じた事は、1話ごとに軸となるコントがあって、そのコントに沿ったテーマで主人公たちの悩みなどが解決されていくといった流れでしょう。(まだ3話なのでここから変わるかもしれませんが)

 

又吉直樹の作品も「コントが始まる」も同じ売れない芸人に焦点を当てた作品です、しかし「コントが始まる」では芸人の悩みは周りの環境であったり、解散することへの悩みだったりします、又吉作品では、周りの人間は必要以上に出てこず、自分の才能の突き当たりにきた主人公が自分の才能について周りの人間を見ていきながら懊悩するといった感じです。

 

すでに違うことがお分かりでしょう、「コントが始まる」の主人公たちは自分たちの才能には自信を失ってはいないものの、家族などとした「約束」(10年売れなきゃやめる)に悩まされています、そのため今後の話でも周りの人間との悩みを解決していきながら、解散を迎えるか否かみたいな展開になるでしょう。つまり、自問自答のようなものはありません。「自分が面白いのか、自分のするお笑いは世間に対して受け入れられるのか」そういった悩み方はしていません、才能の限界に来たから解散、なのではなくタイムアップだから解散、という話です。

 

正直、お笑いを多少なり見て、少しやっている程度の私は、自分の才能の壁にぶつかって懊悩している方が好みです、そうすることに憧れている節もあります。

 

ですが、「コントが始まる」のコントを軸として、物語を展開してくのは地味にすごいと思いました、こんなことしたドラマありました?なのでそれが3話でわかった瞬間こんな駄文を書いてしまいました、コントで言うところの"オチ"がこの文章にはないので一旦ここら辺で終わりにしておきます。