コックカワサキの魂

魂は死んでないんじゃないの〜?

承認欲求の満たし方について

 まずは感謝から述べさせてください。前回の記事なんですが今までからすると考えられないくらい多くの人に見ていただいて、お気に入りなんかもしていただいたようでもう何から感謝していいかわかりません、何から何までありがとうございます。夢に一歩近づけた気がします。

 さて、前回の音楽と記憶についての話題の続き。音楽と記憶、というのが結びついていて、音楽を聞くとそれを聞いていた時の記憶が思い起こされる、なんてことがあるということを述べたが、これに加えて「匂い」というのも記憶と結びつく要素としてあると思う。音楽に比べて当てはまる場合が限られるが、音楽だけではなく匂いによっても記憶が思い起こされることがあると思う、私も彼女に振られたての頃はよく同じ香水の匂いがすれば後ろを振り返ったものであった。

 最近は又吉直樹氏のオンラインサービスに加入したり、panpanyaという漫画家を新たに知ったり、札幌記念3連単が当たったりした。割と話題に尽きない日々であった。そんな中で『ショートショートショートさん』という漫画を買った。端的に言えば承認欲求が満たされない痛いOLの日々を書いた漫画なのであるが、痛々しいと感じながらも、どこか自分に重なるものもあり、憎めないところもある。もちろんそんなわけでこの私も承認欲求が満たされぬまま日々を過ごしているのだが、その『ショートショートショートさん』では冬コミに自作の小説を出し、色んな人(数は多くないが)に買ってもらったことで自身の承認欲求が満たされた気分になる。これを見て私が気づいた所は、「承認欲求というものは自らをさらけ出すことによって満たされるのではないか」である。そんなこと当たり前であろうと、思う方ばかりかもしれない、私もこれを気づいたときには「当たり前のことじゃないか」なんて感じた、しかし得てして、承認欲求の満たされぬ人間というのは私含め自意識が高く、自らをさらけ出せていないと思うのだ。「素人の私が本なんか出したって、、」きっとそんなことを思ったはずである、痛いほどわかる、その自意識を乗り越えて本を出した結果承認欲求が満たされる、自身をさらけ出さずに他人から認めてもらおうだなんて、そんな体の良い話はあるわけないのである。認められたいなら、さらけ出すしかない。

 そんなわけで今回このブログを書くに至ったわけであるし、以前の様に臆すことなく、エッセイというタグをつけさせていただいたのである。