コックカワサキの魂

魂は死んでないんじゃないの〜?

別に君を求めてないけど

 なんとなくで書いているこのブログなんですけど、まあ、書こうと思う題材は結構浮かぶわけなんですが、いざそのことについて書こうと思うと意外とそんな長く続かなかったり、自分の語彙の無さ故かうまいこと題材に対する思いを言語化することができなかったりします、まあ簡単な言い方をすれば0から1はできるけど1から100にはできないみたいな、よくある感じの悩みですありふれすぎてますよね、これも悩みといえば悩みなんですけど、自分の悩みというか創作に昇華したくなるような出来事、これも結構ありきたりなのかな、なんて思うこともあります、人生は人それぞれなんてこと言われると思いますけど、流石に何十億、何百億も人間がいればある程度悩むことなんて似てくると思うんです、それをたとえ小説にしろ歌や詩にしたとしても、それはもうすでに自分が知っている種々の創作物があったからこそそういった悩みが出てきているのではないか、なんて考えてしまうこともあります、つまり「恋」について悩んでいても、今までに摂取した創作物から得た知見をもとに「恋」について考えてしまい、「悩み」というものが典型的になってしまうことがあるのではないかと思ってしまうわけです。

 私自身の偏見と言えば偏見だし、持論と言えば持論なんですが、ありきたりな悩みを創作物に落とし込んでも、大衆にはウケず、経験したことのない悩みや出来事のほうが大衆はより望んでいる気がします。もしありきたりな悩みで創作して受けるとすればそれは新しい見方で論じていたりするからではないでしょうか、私はそのように感じています。この考えは私が好きなお笑いから影響を受けているのでしょうか、お笑いは確かにこの感じが顕著にある気がします、芸人さん達は常に新しいスタイルを考えており、その結果が「漫才かどうか」の論争を生み出した「マヂカルラブリー」なのではないでしょうか。そしてそれは創作全般に言えることになってはいないでしょうか。

 ですが、私は最近自分の感覚に近い作家さんを読むことにハマっています、自分が何となく感じていながらも、それこそうまいこと言語化できていなかった出来事を落とし込んで言語化されている小説を読むことが最近は好きです、なので自分と似た境遇の主人公の話ばかり買ってしまう気がします、私のような感覚を持った人が居るという希望を持って、私もなにか一種の気持ちの代弁者であることを目指そうと思います

小説家でもなんでもありませんが。

おまたせしました、いえ、おまたせしすぎたかもしれません

というタイトルをつけましたが別に誰も待ってないと思いました、お久しぶりです。

1ヶ月以上更新していなかったのは、最後の更新日くらいから永井荷風の『断腸亭日乗』に触発されて、日記を始めたわけなのですがこの日記を書いているだけで満足してしまい、ほとんど日記と同じように使っていたこちらを更新する手が止まってしまったわけです、まあだれにも見られず1人でやっているものなので強制力もなく、日記書いてればいいかと思って過ごしていたわけです。

ではなぜ、日記を書くだけには飽き足らず、こちらを更新しようと思ったのか。

理由は2つあります、まず最近ハマっている乗代雄介という作家がいるのですがこの人が中学時代からずっとブログを書き続けていること、そのおかげか知らず小説家になり、芥川賞候補にまでなっていることです。これはつまりはこのブログを書くきっかけに至ったジェーン・スーさんに続く新たなモチベーターが出てきたということです。さ

もう一つは、以前友人にnoteがバレ始めて、こちらに移ってきたというようなことを言ったのですが、友人にある出来事についてnoteに書くように頼まれ、書いたのですがこれに対して二三人からフィードバックがあったわけです、褒められたわけでもないのにそれが嬉しくてこれもネットに自分の文章を載せるモチベーションになったわけです。

こんな感じで僕は今日も生きてます、1ヶ月じゃそんなに変わりません、ただ日記を書き始めたこと以外にブログの更新が止まった原因を考えると確実に「2日に1回」という更新頻度のハードルを上げてしまったせいです、出来もしないのに高く目標を設定してしまうのは僕のいつもの悪い癖です、ということで「1週間に1度」程度にしたいと思います、これでも続かなかったらもう1ヶ月とかになるんじゃないでしょうか、まあだれも見てないし、だれも催促なんかはしてこないのでひっそりやめる可能性も無きにしもあらずなのであしからず。

書き下手

 別にだれにも見られなくていいと思ってたんですけど、現代っ子故か、閲覧がゼロだった日があったことが悲しくてツイッターのプロフィールに一時期このブログのリンクを張ってしまいました、noteが知り合いにフォローされ始めて書きづらくなったからこっちに来たというのに結局同じ事なりそうだったので一日くらいで消しましたが、リンクから飛んだのかそれとも関係ない人が見たのか閲覧数が2になっていました、自業自得です。

 各日で更新しているものの、初めて更新したブログほどは閲覧数は伸びず、ただ文章力が毎回わずかながら伸びているのではないかという期待だけをモチベに毎回このブログを書いています、一体書く仕事がもらえるようになるまで何年かかるのでしょうか。まだまだ自分の気持を書こうとすると、いろんな事が頭の中に出てきて思いついた言葉を書いていくと後で読み直すとぐちゃぐちゃな文章になってしまいます、この前の2つのブログも思ったことを書いているのでぐちゃぐちゃな文章になっています、見ないでください、っていうかもうこの文章ですらぐちゃぐちゃなのではないかとも思ってしまいます、じゃあノートとかにプロットを書いてからやれよと思われる方もいるかもしれません、ですがそれでは違うのです、このブログではそれこそさっき言ったように思いついたことをただただ書いていきたいのです、今もそうなんですけどもはやこのブログは僕の頭の中に出てきている単語の羅列なのです、いかにこれを文章化できるか、この力を上げるためにこのブログをやっているんだと思います、このことも今パソコンで文字を打ちながら考えました、多分後で見返したらごちゃごちゃだと思います。

 「推敲」という言葉は知っています、それが文章を書く上で必要なのも知っています、ですが私は面倒くさがりなのです、なるべくならめんどくさい過程を省いて成長していきたいのです、モチベを高い状態で保ちこのブログを続けていくためには推敲というめんどくさい過程をすっ飛ばしているのです、もちろんこれが本として出されるのなら死ぬほど推敲しますし、述懐くらい書き直します、そんな感じです、『徒然草』とか以外にこんな風に書かれたんじゃないでしょうか。結構的を得てないですか。違いますか。そうですか。

 

シティボーイのはずなのに…

 あまりこういうことを自分から言う人は少ないとは思うが、最近そうなのではと自覚し始めたのでここで言わせて欲しい

私はシティボーイである

正直こんな事を自覚して言っている時点でかなりやばいのだがあまりにも称号の割に恵まれていないという現実があるので、今日は私こと生粋のシティボーイの悩みを聞いてほしい。

 私は生まれて二十年少々ずっと東京に住んでいた、何なら三代以上東京にいるので江戸っ子でもあるのだ、てやんでい。主に東東京にいて、東京の観光スポットなんていうのは見慣れていた、生活の一部であった。中学高校の頃は東京住み、東京育ちなんてものはそこまで珍しくなかったが、大学に入ると環境が一変した。

 周りはほとんどが非東京の人間だらけで、随分と地方住みと東京住みの感覚の差には困惑した、その中でも一番困惑したと言ってもいいのは、服装の問題であった。単純に大学生というものがおしゃれをしたがる年代という事もあってか、周りがおしゃれになってきた。その中の理由に恐らく、「東京に来たからおしゃれをしなきゃ」という感覚もあるのだろう、こちらとしてはいい迷惑でずっと東京にいるのだから、東京というものは別に張り切っておしゃれをしたりブランド物に身を包まなければいけない場所ではない、と思っていた。そんなもんだから多少の焦りはありつつも、高校の頃からあまり変わらない格好で大学に通っていた、周りがおしゃれになっている中で高校の頃と同じ格好で大学に通うのはシティボーイなりのささやかな抵抗であったのだろうか、

「俺はこんなダサい格好でも登校できるぞ、なぜならシティボーイだから、東京でも肩肘張らずに生きてるってわけ」

これではシティボーイでも意味がなさすぎる、メンタルが田舎者すぎる、シティボーイと言ってもおしゃれな店も、ブランドも、曲も何もかも知らない、ただ高層ビルや観光施設を見慣れているだけの人であるということに気づく頃には21になろうとしていた、焦っておしゃれだと思えるような服を買って、慌てて地方出身者に合わせた、これじゃあどっちがシティボーイかわからないよ。

 どうやらただ東京に生まれて東京に生きているだけではシティボーイにはなれなさそうだ、流行の最先端の土地にいるのだから、そういったものにアンテナをビンビンに立てていきながら、多方面におしゃれでなければ、真のシティボーイになるのは難しそうだ。生まれた立地に高を括って、のんびり生きているだけではどうやらシティボーイ戦線からは脱落させられてしまうらしいそれに気づくのに21年かかったのは恥ずかしいことである。

 心の師は永井荷風かと思っていたがこれはどうやら心の師はTik Tokとかで探さなければいけなさそうだ、極端かな。

 

創作に対する自分の気持ち悪さ

 やっぱり毎日じゃなくて、2日に一回くらいのほうが質量ともに落とさずに書けそうですね(これ以上落ちるほどの質はないだろというツッコミは心の中にしまっておいてください)それと日記だけだと量が少なくなってしまうのでこれも、「気になっている話題」+「日々の出来事」の構成で書いたほうが丁度いいボリュームになっていくと思ったんで、今後しばらくはこんなスタイルでやっていこうと思います。

 さて、今日の話題は先日の偏見部活動もいいなとは思ったんですが、久しぶりに又吉直樹『人間』を読み返しまして、やっぱり本って読み返すとまた新しい発見がありますね、現在自分は多少創作活動をやっておりまして創作活動に関する人々を描いた『人間』を読んで自分を見つめ直すと、自分の創作に対する気持ちの悪い自意識のようなものがありまして、今日はその自意識を供養するつもりで書いていきたいと思います。

 まず、自分が創作をしているということに関して私はなにか優越感のようなものを抱いています、まずここから気持ち悪いです、他の大学生を見ていて自分よりも卓越した部分を見せつけられることなどがあっても「まあ、自分は創作をしているから、劣る部分があっても彼らよりはセンスの有る」なんてことを本気で思ってしまいます、自分が劣る部分がある際に働く防衛本能のようなものでしょうか、傑作を生み出しているわけでもないのに「創作」という行為自体に価値を見出して、それを行っている自分が偉いというように履き違えています。本当に気持ち悪いし、未だに中二病を引きずっているのではないか、なんて思ってしまうこともあります、実際そうなんでしょう。才能もないのに「創作」をして、自分の才能に懊悩するのがかっこいいって思うことに憧れています、フィクションと現実の区別がついていないんです、「じゃあなんでそれがわかっているのにやめないんだ」なんてことを思われるかもしれませんが、怖いんだと思います、自分になんの才能もなく創作で食うのは不可能で、大人しく社会の中に入っていくしかないという事を思い知るのが怖いんだと思います。こんなことを思っているのもすでにありきたりなことでこういうことを書いて、垂れ流してしまっているのもセンスの無さを露呈してしまっているという悲しい矛盾です。

 ネガティブなことばかり言ってしまいましたが、実生活は全然友達と遊んだりしてました友だちと遊んでいる時は自分のセンスの無さというもののを忘れることができます。

 いつか、自分の創作物すべてがハマってくれる彼女とかできたりしないですかね、次回はもっと明るい話題を持っていきたいと思います。

 

偏見部活動と昨日の出来事

 本日も邪な気持ちだけで始めたこのブログ、やっていきたいと思います。

 最近はGWでぶっ壊れた生活習慣を力技で矯正し、11時寝5時起きといった健康的な生活サイクルになり、動き出しが遅い私でも5時から起きていれば流石に10時頃にはグダグダすることに飽きて、自分のやりたいことをやり始めれるようになりました。やっぱり早起きはいいですね、自分は夜型だと思ってましたが夜も夜で結局何もしないので、それなら周りの人間に合わせて朝方になったほうが生きやすいと思いましたが正解でした。

 さて、そんな一日の中でvtuberの卯月コウさんの雑談配信を見ていたところ、面白そうな話題について話していたので、今日は同じ話題で話したいと思います。その話題はというと、「偏見部活動」です。ただ部活動についての偏見を言うだけですが、意外に学生の頃を思い出しながら考えると面白いだろうなと思ったので私もいくつか偏見を出してみようと思います。

 まず、王道の野球部から、自分の学校はある程度野球部は強かった(地区大会準優勝くらい)のですが如何せん素行がかなり悪く、帰宅部の私はかなり野球部を嫌っていた記憶があります。プロ野球が好きで見ているのですが、やはりプロ野球の世界を見ていても素行の悪い選手は一定数いる感じです、性(さが)なのでしょうか、これらの事象を全てかき集めて私が出す偏見はこれです

「野球部は童貞を15歳で捨てる、ゴムはしない」

自分で言っていてかなりひどいと思います、この偏見には私の劣等感も含まれているため自分の思考を超えた偏見が出てきてしまいました、次は抑えめにいきたいと思います。

 次はサッカー部、これもかなり王道で正直イメージ的には野球部よりモテている気がします、野球はどうしても坊主のイメージが付きまとってしまい、ダサいと思われがちで、それがないサッカー部は相対的におしゃれに見えがちです、なんとなく顔も野球部よりかっこいい人が多い気もします。そんなサッカー部に対する偏見はこれです

「付き合っている女以外にキープが三人はいる」

全国のサッカー部と付き合っている皆さん申し訳ありません、あなたの彼氏にはいないかもしれませんが私は気づいてしまったのです、世界の少数の男性に多くの女性が流れてしまっていることをそしてその流れは主にサッカー部に行ってしまっていることを、圧倒的な格差がそこに存在しています、私は貧困格差よりもそっちの方を危惧しています。

 さて筆が乗ってきましたお次はテニス部です、テニス部は大学のテニスサークルのイメージが強いですが、中高においても女子との関わりを求めてテニス部に入る方も多いんじゃないでしょうか、違いますか?違ったらすいません。ちなみにテニス部はゴムをちゃんと付けると思います、そこらへんのリスクマネジメントはちゃんとしてそうなのがテニス部の人間のずる賢いところだと思っています、正直野球部より質が悪いと思います。悪知恵の効くテニス部なので大やらかしをすることもないと思いテニス部への偏見は前の2つに比べかなりおとなしめです

「だれにも言わずに、学校一可愛い子と付き合ってるやつがいる」

これは実体験を元にした偏見です、別にその子のことを狙っているわけでもないのにテニス部のよくわからないやつが学校一可愛い子と付き合っている事実を知ってしまった時は怒りがわきました、本当は私はその子のことが好きだったのでしょうか、不思議な話です。

 やっぱり書いてて結構楽しかったので定期的にやってみようと思います。最後に昨日の出来事を書いておくと

所持金が少なくなったので漫画とゲームを売ったが、その金でまた漫画を買ってしまい対して儲からなかった

です、ご意見ご感想お待ちしております。

参考

【ゲリラ】ガチでなにも考えてない雑談【にじさんじ/卯月コウ】 - YouTube

できれば毎日やりたい日記

 昨日の佐久間宣行のオールナイトニッポンを聞いていて、ゲストのジェーン・スーさんがコラムニストとしての仕事をもらえるようになり始めたのは、日記をブログに載せていてそれを見た人から仕事をもらった、みたいなことを言っていたのでそれこそ「継続は力なり」じゃないが私も日記をやってみようと思って書き始めた次第である。

 コラムニストやエッセイストといった「それが本業なのか?」と思うような仕事をもらいたい、自分の人生について書くだけでお金がもらえるなんていい仕事だと思う、現在バイトもできずゲームを売って日銭を稼ぐ苦学生である私からすれば喉から手が出るほどほしい仕事である。しかし、もちろん文章でお金をもらうなんてことは恐ろしいほど難しいことで、インターネットが主流の今では自分なんかでは及ばないような文章が冗談抜きで一日五万は出てると思う。だからこそ、今からコツコツ書いていって、運良くこの日記が見つかって、運良く出版社からエッセイやコラムのお仕事が、、、なんてことを夢想している。

 またこの日記は稚拙な文章ではそんな仕事も来ないということから、自分の文章力を上げるという役割も果たしている。つまりは「普段のことを書きながら、文章力を上げ、それがいつか仕事に繋がればいいな〜、バイトしたくないし」なんて恐ろしいほど世の中をなめている大学生が書いていて、その大学生は生まれてこの方毎日1ページずつやらなければいけない宿題を毎日やらずに最後に泣きながら溜め込んでやっていた人であるということを理解した上で、待っていてほしい(果たして待っている人ができるのは何十年後になるのか)

 さて、前置きはこれくらいにして日記としての内容に入っていきたい。

 前日が休みだったために、夏に備えて服を大量に購入し、今日それを学校に来ていけるのではないか、もしかしたらオシャレな私を見てキラキラの女子大生が声をかけてくれるのではないか!?と期待に胸を膨らませて今日を迎えたが生憎の雨、加えて半袖を着るほどでもないような暑さ、むしろ冬物を着なければいけないくらいの寒さ。新しいズボンは履けたものの、楽しみにしていたシャツは着れず、雨の中学校へ。

 この日記を書く決断を促してくれた佐久間宣行のオールナイトニッポンを聞きながら授業の一時間前には最寄りに着き、本屋で発売を忘れていた『達人伝』を購入、図書カードがもらえるキャンペーンが千円以上購入しなければいけなかったので追加で文庫本も購入した。こういうちょっとした買い物をやめれば、貯金できるのにと思いながら学校に着き、本来の目的である対面授業の前にリアルタイムのオンライン授業を受けるために図書館へ、zoomとは言え喋らなくて良さそうだったのに授業の連絡の備考として「プリントを音読させます」と書いてあったため図書館で声を出すわけにもいかず勝手に授業を受けるのを断念した。こういう自分に甘い判断をよく下す、自分に厳し過ぎて悩んで病んでしまう人がいる昨今、確実に社会不適合者だなとは思いつつも自分に甘い自分が好きだという、恐ろしい自我が存在することに書きながら気づいた。そんな今日でした。